〜プロフィール〜
栄養系の短期大学を卒業後、調理師専門学校で1年間料理の基礎を学び調理師資格も取得。
新卒で給食受託会社に入社、社員食堂の栄養士として3年間勤務をした後、外食産業でメニュー開発の仕事に携わる。デパ地下のサラダ系惣菜開発、アジア系の惣菜開発など4年間勤務した後に、タイ料理を学ぶためにタイへ留学し、日本に帰国後はタイ料理店で厨房スタッフとして1年間勤務。現在は、食品会社で契約社員としてメニュー開発をしながら、タイ料理教室を主宰、管理栄養士として保健指導の仕事などその活動は多岐に渡る。
今回の食の仕事人はタイ料理に魅せられ、その真髄を学ぶためにタイへ留学し、その文化、はたまたタイマッサージの資格まで取得、現在はタイ料理教室を主宰しながら、管理栄養士の資格も活かし様々な仕事をしている妻島さんにお話を伺いました。
子供のころから料理は作っていましたが、レシピはほとんど見ないで、写真のイメージで料理やお菓子を作っていました。レシピをみるのが面倒だったのかもしれませんが、あまのじゃくなところがあって、レシピ通りではなく自由に自分勝手にアレンジして作る子供でした。中学に入る頃には食品会社でメニューを作る仕事や商品開発をしたい!と目標がすでにできていました。両親も食事をすることが好きで、家族で外食することも多かったです。いろんな料理に触れる経験をもったことも開発に興味を持つきっかけになったのかも知れません。
食品メーカーでの夢をかなえるために、まずは栄養の知識を広げたいと思い短大の栄養学科に進みました。卒業後、栄養の知識にプラスして料理の知識があったらもっと美味しい料理を提案できるかも?と思っていたところ調理師専門学校で事務員の募集があり応募したのですが、採用面接の時に学校内の施設を見学し、その学校の設備などを見るうちに調理の勉強がしたいという気持が強くなっていきました。両親から猛反対をされましたが意志は固く学費は自分で払うと約束をしてその専門学校で1年間料理を学ぶことにしました。
最初に給食受託会社に就職し、社員食堂の栄養士として勤務がはじまりました。カフェテリア形式で13種の料理を毎日提供していましたが同じメニューの繰り返しでは物足りなくなり「こんな食品を使ってみたら?」「原価を落として見た目をよくしたらもっと売れるかな?」など新しいメニューを提案していきました。その中でヒットメニューがでる喜びを味わい、もっと大きな舞台で挑戦してみたいという気持ちが大きくなっていきました。働きながらも時間をうまくやりくりしながら管理栄養士の試験を受け合格。3年の栄養士経験を積んだ後に退職を決意しました。
給食受託会社を退社後は1年間という期限を決めてとにかくいろんなものを見てみたいという気持ちでした。料理学校のアシスタント、パン屋で製パンのアルバイト、その後はフランス、イギリスと半年ちかく一人で旅行をしてきました。帰国後は栄養士としてメニューを作る仕事に内定したものの、調理師学校時代の先生から1本の電話がありました。「関西でデパ地下の商品開発の話がきたよ。新卒以外を募集しているかわからないけど応募してみたら?」というものでした。ぶっつけ状態で応募をし、私の押しが効いたのか?内定をいただきました。本当は募集をしていなかったようですが、、、でもこんな私を採用してくれた会社と紹介をしてくれた先生に今でも感謝しています。
商品開発といっても、最初はアシスタントとして野菜ジュースの立ち上げを行いつつ、サラダ惣菜の開発では野菜の持つ力や盛り付け、組み合わせなどを勉強させていただきました。次第に自分も商品を作っていくようになりました。企画担当が決めたコンセプトやテーマに沿って具体的なメニューを考えていきました。原料調達から試作、原価計算、工場への落とし込みまでの一連を担当、300メニューを提案し100件が採用されました。開発チームのメンバーは私以外ほとんど男性で、どこかのレストランで料理人として勤務していたような職人の方ばかりなので、栄養士から入った私にはメニュー提案の引き出しに限界がありました。開発の仕事をしていくには自分の強みが必要で、例えば和食だったり、フレンチだったりと他の方は何かしらの専門がありましたが自分には強みがなくひたすら勉強の日々でした。そんな中、会社がアジア惣菜店を立ち上げることになり自ら立候補をして東京転勤となりました。
メニュー開発担当としてタイへ研修旅行に行き、現地の調味料に触れたりとたくさんの経験をさせていただきました。自分でも勉強をしてメニューを考える日々でした。プライベートでもタイ料理にはまり出したのもこの頃です。今までなかった自分の強みをエスニックというジャンルで見出したかったかもしれません。会社には内緒でタイレストランでアルバイトしたり、盛り付けなど色彩感覚を磨くために絵や花を習ったり、すべて商品開発に生かすために仕事以外でも勉強をしてきました。当時は仕事も休みも勉強も趣味も遊びもすべて同じ方向に向いていました。
タイの魅力に引き込まれたきっかけがプーケットで食べたカニのカレー炒めです。
アジア好きな弟と何度目かのプーケットに行ったときのことタイ人で賑わっていた水槽があるお店を選び、そこで食べたシーフード料理、特にカニのカレー炒め(※当時はそのような料理があることすら知らない)を食べて大衝撃!弟も大絶賛でそこではチップのつもりでコインを積み上げて帰ってきました。
このことがきっかけで、タイ料理にどっぷりとはまっていきました。
開発の仕事をしながらも夜はタイ料理店でアルバイトをし、タイへ行ってはタイ料理を食べまくり、他にもおいしい料理がいっぱいあることを知りました。そして、タイ料理を食べていると体の調子が良くなることも気付きその魅力に取り憑かれてしまいました。
開発の仕事も4年勤務となったころ、タイ料理をもっと深く勉強しようという気持ちが湧き出てきました。会社の方針の中で不特定多数に喜ばれるメニューを考えるのではなく、マニアック(現地の料理)な料理を追求したいという思いからです。退職後、本場の料理を学ぶために半年間タイに留学をしました。実は事情があってその留学中に入籍することになりました。夫はアメリカへ転勤、私はタイ留学中。離れ離れの生活が続きました。結婚したからといって、タイ留学を途中でやめるつもりはまったくなく、そんな私を理解してくれた夫には感謝しています。日本に帰国後、タイ料理への情熱は冷めることはなく今度はタイ料理店で調理スタッフとして、朝から晩まで働く日々が続きました。そんな中、夫が病気になってしまいました。自分でも余裕がなく思いやりが足りなかったと反省をし,もう少し働きたい気持ちをこらえながらも1年間という区切りでタイ料理店を辞めることにしました。
その後は家庭のバランスを保てる仕事として食品会社のメニュー提案の仕事をしながら、タイ料理店のコーディネート(メニュー品揃えやレシピ提案)をしていました。
夫の病気や引越しなどをきっかけに、仕事の取り組み方、考え方が変わってきました。 今までは勉強したい、経験をしたいと、物足りない自分が常にいましたが、これからは自分を認めてあげて、今自分が持っているものを紹介していきたいと思うようになりました。
現在は、メニュー提案の仕事、管理栄養士として保健指導の仕事、タイ料理教室主宰、献立作成の提案業務、専門学校で非常勤料理講師をしています。特に仕事を限定するのではなく自分を表現できる仕事であれば何でもやっていきたいと思っています。
そして、いつかは自宅で料理教室をやりたいですね。もっと気軽にタイ料理を楽しんでもらいたいからです。他にもチャンスがあればお店を出したり、料理学校などで講師をやったり、料理学校を経営したり、はたまたタイのレストランのメニューを作ったり、考え出すとキリがありませんが、今のうちはそれを限定せず、選択は将来の楽しみに取っておこうと思っています。
常に前に前に突き進んできた妻島さんのパワーはどこから来るのでしょうか?
ほんわかとした和やかや笑顔からは想像もつかない努力家の方です。夢中になれるもの「タイ料理」に出会うきっかけも偶然ではなく、ご自身がたくさんの種をまき続けてきた結果だと思います。
これからは今まで経験されたことをいろんな仕事で表現していただきたいと思います。
妻島さん、ありがとうございました!
http://www.terrada.co.jp/tykitchenstudio/
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